- Mansaku Ikeuchi
ホントにアレでよかったんだろうか
昨日のできごと 12/08/2019
昨日は「おうちコラム」関連の作業後、友人2人と妻の4人で居酒屋さんで軽い打ち上げを。
と、そこまではよかったんだけど、そこで非常に気分の悪いモノを目撃した。
小学校高学年の娘の殿部を、父親が手で撫でたり揉んだりしているのだ。
母親も一緒にいたが何事もないように父親と会話を続けている。
一瞬意味がわからなかった。
頭が混乱した。
スキンシップ…が過剰な一家?
でもその行為は何度も繰り返される。
じょじょに違和感大きくなっていく。
頭には「虐待」という言葉しか浮かばない。
アドレナリンで微かに手が震え始める。
あまりに気になったので思わず声をかけ、店を出たあとすぐに4人で交番に行き、そのことを通報した。
警察はすぐに店に行き本人を特定し生活安全課と共に動くといってくれた。
でも、それでスッキリしたわけではなく、ずっと同じ問いがつきまとう。
本当にアレでよかったのだろうか?
警官が店に行った時、すでに帰ってしまっていたら、なにも出来なかったことになる。
「なんでさっきから娘の尻もんでるんですか? どーゆことか説明してもらえませんか?」
そう店内で詰問する手もあったかもしれない。
あるいは店に警察を呼ぶ手だってあった。
当たり前におかしいと思うことを、当たり前にぶつける勇気を持つべきだったのかもしれない。
でも、万が一自分たちが間違っていたらどうだろう。
父親を幼児虐待の加害者と呼び、家族を傷つけ、店に多大な迷惑をかけてしまったら責任を取れるのだろうか。
だいたい、疑わしいからといって自分が犯罪者扱いされたらかなり腹が立つし、そんなことがまかりとおる社会なんて冗談じゃないと思う。
「こいつに決まってる」そんな思い込みで数々の冤罪が生まれ、多くの人が自由や時には命すら奪われている。
「疑わしくは罰せず」という一見犯罪者を守るように見える制度は、いざという時自分を守る制度でもある。
でも。
やっぱりここで最初に戻ってしまう。
もし、その女の子が日常的に虐待を受けていたら…
ホントにアレでよかったんだろうか。
結局のところ、どんな行動をとっても、その問いはつきまとうような気がする。
いくら父親を糾弾しても、あるいは警察に引き渡したとしても、「ホントにアレでよかったんだろうか、もっといいやり方があったのではないか」と問い続けるでしょう。
ただ、どんなに不完全な行動でも、違和感を飲み込んで見て見ぬふりをするよりは全然よかったんじゃないかと、思ってます。
正直なところ、自分一人でいたら「まぁ…色んな家庭があるし…」と、なにもしなかったような気がする。
父親の行動に気がつき、疑問と怒りを感じた友人たちや妻がいたから、自分もなにかしなくちゃと思えたわけで、そんな妻や友人たちに感謝。
桜を見る会の一件で「『領収書がない』なんていう逃げ口上は検証にすら値しない。当たり前にウソをウソと呼べない社会を作ってはいけない」みたいな記事を読んだことがある。
「疑わしくは罰せず」は大切にしなきゃいけない理念だけど、完全にクロでない限りなにもしないでいい、というわけじゃない。
あからさまにおかしなことを、おかしいといえない社会は作ってはいけないのです。
だから、もしなにか違和感を感じることがあれば、目を瞑り「まぁいいか」と思わずに、なにをすべきか、なにができるかを冷静に考えてみてくださいm(_ _)m
なにはともあれ、昨日の女の子が無事で、明るい未来を生きていってくれることを祈るばかりです。
ま、祈るだけでもアレなんで、引き続きできることはしていこうと思っていますが。
そんな一日だったせいか風邪をひきました。
たまらんっす。
そんなわけでまた明日!
万でした